FITとは??

FITは、Fine Interaction Team at the smoky mountain―スモーキーマウンテンに住む人々と相互に協力しあうチームです。 「スモーキーマウンテンに住む人たちと自分たちが、お互いを認め合い、お互いの持つ力を合わせて仲間となり、共に生活を向上させていく。」を活動理念とし、日々活動しています。 学生・社会人が週に一度は集まってのミーティング、スモーキーマウンテンにスタッフを派遣して住民と交流をする遣トン使、小学校や中学校での訪問授業、大学での写真展などを主な活動としています。 私たちの力で何ができるのか、スモーキーマウンテンに住む人々を思いやりながら活動しています。



ただいま製作中です。。。






















スモーキーマウンテンとは??





スモーキーマウンテンの概要
 フィリピンでは、ゴミは燃やしたり分別されたりせずに、ダンプサイト(ゴミ捨て場)に捨てられます。一日にマニラ首都圏から出るゴミの総重量は約6,000dです。このようなゴミ山は、マニラ首都圏内に多数あります。
 スモーキーマウンテンは、マニラ首都圏にあるトンド地区に位置しているダンプサイトの一つです。マニラ首都圏からゴミが運ばれてきます。
 多くの住人は日々の収入を得るために、リサイクルすることが出来るゴミを拾います。一般的にゴミを拾い生活費を稼ぐ人をスカベンジャー、お金のためにゴミを拾うことをスカベンジングと言います。 しかし、その言葉には腐肉を食うやつらなどという差別的な意味合いも含まれていることから、私たちFITはそれぞれをゴミ拾い人ゴミ拾いと呼んでいます。
2007
年現在、約1500世帯、約8000人の人々がスモーキーマウンテンで暮らしています。
 スモーキーマウンテンと呼ばれ始めた由来は、ゴミから自然発火し煙が立つ山の様子からです。


スモーキーマウンテンの歴史
・  1945年
 マニラ市のトンド地区にゴミが捨てられ始めました。これがスモーキーマウンテン「1」と後に呼ばれます。

・  1995年
 政府によりスモーキーマウンテンは閉鎖され、ダンプサイトの近くに住むガベッジ・ピッカーは立ち退きをさせられました。ダンプサイトの近くに住む人々の住居は取り壊され、ガベッジ・ピッキングの仕事が出来なくなりました。ほとんどのガベッジ・ピッカーは、パヤタスというマニラ首都圏の大きなダンプサイトに移住し、生活費を稼ぎました。

・  2000年 7月
 大きなダンプサイトが以前のスモーキーマウンテンから、高速道路をはさんで反対側に形成されました。これがスモーキーマウンテン「2」です。人々は、その周辺に住み始めました。約80世帯でした。しかし、人々は同年に毎週手紙で、政府から立ち退きを要求されました。それと同時に、人々は、警察から嫌がらせや圧迫を受けました。

・  2001年
 人々は警察からの嫌がらせや圧迫を防ぐために、ガベッジ・ピッカーを中心メンバーとした住民組織を設立し、警察に抵抗しました。人々の努力により、警察からの嫌がらせや圧迫の手紙は減りました。スモーキーマウンテンに住む世帯数は増えていきました。

・  2005年
スモーキーマウンテンに住む人々は1000世帯近くになりました。一時減少していた立ち退き要請は、月1回に増えました。立ち退きの可能性があり、人々の安全と平和で暮らすことが出来る状態ではありません。



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